【社長の家づくりへの想い】

代表取締役  服部 幸毅

この会社が大嫌いでした。

木家研究所株式会社 代表取締役 服部 幸毅 弊社の会社設立が昭和14年。その前までは材木屋で「木屋(きや)」の愛称で親しまれていました。今日まで長年に渡って弊社が存続できたのも、ひとえに地元の方に支えられたおかげだと信じております。

 ただ、私が子供の頃は正直言ってこの会社が大嫌いでした。昔の職人さんはとても荒々しく、仕事が終ると会社でお酒を飲んで暴れて喧嘩したり、ばくちをしたりと怖くて怖くてしょうがなかった記憶が今でも残っています。また、汚い・きつい・かっこ悪いと3Kと呼ばれるこの職種は、人に言うのも恥ずかしくてしょうがありませんでした。

 この会社が嫌いだった理由は他にもありました。それは、父がほとんど家にいなかったということです。父と遊んでもらった記憶はほとんどありません。ですから、「この会社があるから、お父さんが忙しくなるんや。いっそこんな会社なんて、無い方がええわ。」と恨みました。まわりからは大きな家に住み裕福な家庭に思われていたかもしれませんが、実は家族みんながバラバラで、何か大切なものを抜き取られたような寂しい幼少時代でした。
 その後、私が長男でしたのでこの会社に仕方なく入りましたが、入社当時は自分の会社にも仕事にも誇りを全然もてませんでした。むしろ嫌々仕事をしていました。この否定的な気持ちは自分の体にも悪影響を与え、慢性的な偏頭痛と高血圧症に悩まされるようになりました。もう何もかも嫌ですべてを捨てたい、投げ出して逃げたい、という気持ちでいっぱいでした。

私を救ってくれた友人

写真:正月に会社兼自宅の前で弟幸信と
正月に会社兼自宅の前で
弟幸信と
 そのような限界寸前の状態だった時、学生時代の友人から新築の相談がありました。友人のご家族とお母さんの5人が住む家でしたが、友人のお母さんはアルツハイマー病でした。実は私の嫁の母も同じ病気で、家族が受ける肉体的、そして精神的なストレスがどのくらいつらいものかを身をもって知っていましたので、他人事のようには思えませんでした。「なんとかして友人ご家族が持つ様々なつらさを和らげられるような家にしてあげたい。家族みんなが幸せを分かち合える家にしてあげたい。」この一心で何度も何度も打合せを重ねました。手摺の高さ一つまで何時間もかけて話し合ったくらいです。建築中も毎日足を運びました。玄関アプローチの階段が思った以上に高くなってしまい、全部壊し最初からやり直すこともありました。

 家が完成し、引越しをするとき、新しい家に入って喜ぶご家族を見ていると、今まで友人と費やした2年近くの出来事を思い返し、なぜか涙が一気にあふれ出ました。恥ずかしかったので隠そうとしましたが、友人に見つかってしまい、奥様も加わって3人で泣きあってしまいました。その時、はじめてこの仕事をしていてよかったと感じました。そして、これが私の住宅建築に対する原点になっています。

たとえダメ社長と言われても…

木家研究所株式会社 代表取締役 服部 幸毅 私はこの会社を大きくしたいとは思っていません。ある方にはその事でダメ社長とボロクソに言われました。とても悔しかったですが、それよりもっともっと大切なことがあるんです。
 それは、たとえ小さな会社でもいいから、とにかく続けていくこと。理由は2つあります。

 1つは私どもが建てた家をお守りしていくためにも、この会社を潰すわけはいきません。
 もう1つは この会社です。曽祖父、祖父とその兄弟、そして父から私へと68年間受け継いできたこの会社を、これからも存続させていくのが私の使命だと思うからです。

 家は建てた後何十年も住み続けるものだからこそ、建てた瞬間が一番「いい家」ではなく、何十年も暮らして「いい家」と思えるのが一番です。そんな家を一棟一棟心こめて造り、いつも傍にいて何かあったらすぐに飛んでいき、生涯あなたの家をお守りしていきたいと思います。
写真:四日市西警察署今まで小学校や公民館などどんな災害がきても絶対に壊れてはいけない建物をつくってきました。これらの実績で培った技術力を活かして家をおつくりします。(写真 四日市西警察署) 写真:湯ノ山河鹿橋竣工記念湯ノ山河鹿橋竣工記念(昭和32年)

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